Remoteって?

略歴 * 1987年に結成。翌1988年5月頃から東京都渋谷区原宿の代々木公園隣の歩行者天国でライヴ活動を始める。 * ステージ衣装は赤を基調としていたが、これは機動戦士ガンダムシリーズのファンでもあるボーカル・池田貴族曰く『シャア・アズナブル(赤い彗星)に因んで』ということだったらしい[1]。そこから、remoteは『赤い貴公子』とも言われていた。 * 1989年始め頃には既にホコ天で一番の人気を得たバンドとなり、多勢のファン、追っかけが付くようにもなる。満を持したような形で同年3月18日放送の『三宅裕司のいかすバンド天国』(イカ天)に出場、『Never Be』を演奏、在宅審査員賞を受賞(この時にもファン約50人がイカ天が放送されるスタジオのある日比谷シャンテ前まで追いかけてきていたとのこと)。この日、在宅審査員からのFAXで「ボーカルの目つきが良かった」との指摘にボーカル・池田は「当然ですよ」と返し、その後のイカ天の取材でも、「remote現象(げんしょう)と言われてますが…」とマイクを向けた相原勇に対し「いや、“げんしょう”じゃない。“シンドローム”」と即座に突っ込んだことでも、態度がでかい、ふてぶてしいと言われたが、その態度がまた魅力のひとつと言われ『リモートハリケーン』とも言われる人気を集めていった。なお、視聴者からのはがき投票で順位を決めるイカ天内のコーナー『アマチュアバンドベスト10』では、1989年4月22日では1位になったものの、翌週4月29日から8月12日まで14週連続で2位(4月29日から7月1日までは10週連続でKUSU KUSU、続く7月22日から8月12日までは4週連続でA-CHIEFが1位)という記録がある。 * その後、活動拠点であるホコ天に余りにも多くのファンが殺到するようになったため、1989年5月28日のライヴをもってホコ天を“卒業”。その後はライブハウス、ロック喫茶に拠点を移す。 * 1990年にホリプロと契約、同年7月25日にワーナーパイオニアからシングル『NO!』をリリースし、メジャーデビュー。この後シングル5枚、アルバム3枚をリリース。 * 1992年7月解散。その後池田貴族はミュージシャン、作家、そして霊感タレントとしても活動していたが1999年12月25日に死去。HIRO(中博端)は音楽活動を離れる。その他のメンバーはバンド、ソロ活動、サポートミュージシャンなど現在でも音楽活動を続けている。 メンバー * 池田貴族 (ボーカル、1963年5月8日 - 1999年12月25日) * HIRO(中博端) (ギター、3月4日 - ) * 愛川弘樹 (ベース、6月24日 - ) 現在もThe Beanzというバンドで活躍、他にもバンドのサポート、作曲家としても活動(現在の名義は愛川ヒロキ)。因みに最初の楽曲提供はremote時代だった1990年7月21日の千葉美加のシングル『フェイント勝ちね』のカップリング曲『8ビートのエチュード』、この曲は元々remoteの曲だったものをアレンジしたとのこと。後にこの曲は『Believe3』というタイトルでリモートのシングルとしてもリリースされる。 * Maezaki(前崎史郎) (キーボード、11月6日 - ) シブがき隊のバックバンド「シブ楽器隊」の元メンバー。 イカ天には『SHIROH』の名前で出演。“天草史郎前崎”の名前で作曲をしたことも。 * CHAPPY(前田忠男) (ドラム、1月29日 - ) 『cloudloud』というバンドにも在籍。池田貴族のCD『MiYOU』のジャケット写真は彼の撮影。 (出典:Wikipedia)

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